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愛は時に驚きの姿を見せる


私たちは”愛”を想像する時

どこか美しく、優しい、暖かいものを

イメージしていると思います。


例えば

いつも優しい笑顔で暖かく包んでくれる

そんな聖母マリアのような存在


または

何があってもいつも自分の味方に

なってくれる大親友の存在


”愛”=あなたを受け入れ肯定してくれる

エネルギーであり存在


そんな風にイメージすると思います。



ただ…ですね。。


実際のこの3次元世界では

”愛”はそういう姿ではない事が

とても多いのです。



どこか美しく、優しい、暖かいもの…



とは真逆の姿である事がとても多いのです。

それはつまり



みにくく、厳しく、冷たいもの…



という姿をしてあなたの目の前に現れて来る。


表面上の姿と形からは

到底愛だとは思いもよらないものが

実は”愛”である可能が多くあります。



私の実体験をお話しますね。


昔々、私は父親との関係が

本当に酷かったんです。



父は私を

いつもダメ出しして厳しく叱るし、

基本的には暴言だらけ


興奮すれば物にもあたるし

かなり暴力的な父だったのです。



そんな父に認められようとして

どんなに頑張っていい子になろうとしても

父には認められない。



本当にかなり小さな頃から

父は私を愛していない…

そう思っていました。



愛するどころか

自分の思うようにならない私のことを

不甲斐なく、嫌いなんだろうと

ずっとずっと思っていました。


そんな親子関係の中で


当然私も

父を嫌いになり、憎く思ったことも

多々ありました。



一般的な物の見方をすれば

父からの愛情、愛を

感じにくかったですし


父の言動、行動が本当に

理解できませんでした。


ただ、、


そんな私が

自分自身の変容人生を

歩み出し、長い月日が経って

体が震えるような覚醒を実感してから


これまでの

父との関わりの中に実は存在していた


父の奥深い想いや

父の奥深い無条件の愛が

見え、感じられるようになったのです。



ましてや今、私は

要介護3の母を看ながら


まるで昔の父が

私の体の中に入ってきている?!

かのような体験もしながら


一見すると愛とは真逆の

言動、行動を私自身がしている…


そんな実体験しているのです。


言葉にすると暴言だったり

感情にのせて手が動いてしまったり,,,



けれど

それらの根底には深い想いと愛情が

確実に存在している。



通常、私たちはは目に見えて

美しく、優しく、暖かい愛

を求めていることでしょう。



けれど時に愛は

醜く、厳しく、冷たい表情をも見せている。



本質的な愛、本来の愛は

私たちのぱっと見では

まさか愛ではない逆だ…

と思える姿や形を

取ることが往々にしてあるのです。



本来の愛とは

私たちの想像をはるかに超えて

広く深い物なのです。



一見すると絶対に

愛には見えない、感じられないことでも


その奥には深い愛が潜んでいる

そんなことが沢山あります。



人間の心、想いや愛情って

それだけ広く深く


また、

伝わりにくいものだと思うのです。



今、、、


愛が欲しいのに

愛がもらえない…